南湖大山主峰
午前3時。
軽食を腹にかきこみ、最小限の装備でテン場を離れる。
辺りは真っ白な霧。残念ながら、夜も星空を拝むことは叶わなかった
かつ、砂利の多い沢地形を登っていくルートで、道を見失いやすく、暗闇で登るには難しいルートでもあった
東嶺との分岐を通り過ぎると一枚岩の斜面が現れる。
一度印を見失ってその一枚岩を登りかけそうになった。※本当のルートはその脇のハイマツ地形の中にあった
日の出前
日が出る前の時間。当たりが明るくなり始めた頃、日の出の影響で風が強くなる。
時々ハイマツに身を隠して休憩しながらこの時間を凌ぐ
危ないね
山頂すぐ手前の大きな岩がゴロゴロした道にたどり着く。この大きな岩をよじ登っていくルート設定。
ヘルメットが欲しいなと思わされるような場所だった
山頂
念願の山頂到着した瞬間はガスに囲まれていてガッカリしかけた。
風も強かったので、とりあえずハイマツに身を隠す。
しかし数分後には北側に晴れ間が!
山頂に来ていたツアー客やおじ様方とともに、これを狙って写真を撮り合うのであった
しばらく時間が経つとまたガスにおおわれてしまった。
もしかしたら、この瞬間だけ晴れ男パワーを爆発させたのかもしれない
南湖大山東峰
手のひら返し
「昨日主峰しか行かないって話してなかったっけ…?」
決断をした後に独り言を言う彼女。
主峰と東峰の分岐まで下った時、東側に見えたのは、昨日ガスに囲まれていた東峰まで続く道。
時間が十分には無いことと、彼女かそこまで乗り気では無いことを知った上で、この海を越えて昇ってきたこの地で、最高の裏切りを見せてくれた東峰を見て、二つ返事で「行かない」という決断をすることは出来なかった…
さすがに乗り気ではなかった彼女も同様で、
「いくかぁ、、、!」
という返事を得たのであった。
謝謝
晴れ
その後ガスに覆われることも無く、この山行1番の晴れ間を見ながら登頂することが出来たのであった
下山
昨日の夕方眺めに行ったカルスト地形を下っていく。
昨夕行けないと思っていた山頂に立てて嬉しいくだりだった
高山病
南湖山荘に戻ってきたのは9時過ぎ。
山一つ多く登った分遅くなったのは当たり前だが、可能ならば一日目に宿泊した雲陵山荘を超えて、一日目雨が降ってきて絶望した多加屯加山奥の避難小屋まで行きたいところ。
早く出なければなぁと思って焦っていた僕と裏腹、彼女はマットに横たわっている
「気持ち悪い」
はい高山病です!
紛うことなき高山病DEATH☆
これは持論だが、アクシデントというのは大抵追い打ちをかけるようにやってくるものだと思う。
とりあえず、マットに寝かせて布団をかけて寝かせながら、荷物を撤収する。
高山病って高度下げないと一般的には復活しないのに、とりあえず1hは登ってから、稜線を辿っていくルート。
最悪このままの延泊も覚悟した。
そして詰め終わった荷物がこれ↓
60Lパンッパン
当初彼女には「40lで来なよ〜入らなかった分は持つから」と言っていたが、頑なに60lで行く意思を曲げなかったので、結局著者の方が軽い荷物できたのだが、、、
なるほど、いざって時おれが持てるようにか。
60lで来てくれたのはかなりの英断だった。
そしてなぜか1,5時間ほどの仮眠を経て、
「行けそう!」
とのこと。
確かにさっきよりはよっぽど元気だ。
※寝てる間は突然起きてきたと思ったら吐きそうな時もあった。
とりあえずは一安心。
2人分のほぼ全装備を詰めたザックで再出発を測るのだった…
…大丈夫!!
なんとか彼女は(おそらく)高山病から復活し、なんだかんだ10時半頃には再出発を測った。
しかし先述した通り、南湖山荘から稜線までしばらく登り。
かつ、2人分の装備をほぼ全て著者が担いでいる
彼女のありがとう!という言葉をエネルギーに登っていく。
大丈夫!!👍👍👍
大丈夫???
はぁはぁ大丈夫!!!!!!!
大丈夫????
はぁはぁはぁ!!大丈夫…
南湖北山の稜線に着いた頃には、著者は無言だったとさ。
高山病は??
稜線は行きよりも真っ白かつ、南湖北山に着いた時は爆風が吹き荒れていて、僕らもかなり覚悟を決めて進んだ。
(このときすれ違った人含め、台湾人の一般登山者は長靴率が高いようだ。狂ってるのか、、?)
その稜線もなんだかんだ昼過ぎには突破し、日本人が皆苦しんでいた急登も、ペースが同じだったツアーおじさまたちと話しながら楽しく降っていたら、四時前に雲陵山荘に到着。
簡単に補給を済ませて、割と悩まずに先の多加屯の避難小屋を目指して、明日9時勝光の登山口発のバスに乗ろうという話になった。
昼前の絶望はどこに行ってしまったんだろうか。
真っ暗になる直前の午後6時頃、避難小屋まで来ることができた。
中は雨漏りしてうっかり水溜りを踏んづけたり、後から来た人たちを引き止められなかったりしたが、テントを立てる手間を省けたという意味だけで爆アドな小屋だった
下山
「絶対に9時のバスにのる」
という強い意志の元、3時過ぎに避難小屋をでた。あたりは真っ暗で彼女はいつ出てくるかわからない獣に怯えていた。
著者がその感情を失ってしまったのはいつなんだろうなと思い返すと、オーストラリアで夜中の国立公園を超えた時なんだろうなと思った。
「暗闇に慣れてきた!」と彼女が言い出した頃、あたりは明るくなってきた
下山中にすれ違った人に、台湾人と間違えられた。こんな場所に日本人がいることそのものがレアなのかもしれない
この到着したのがなんと午前7時。
あまりに余裕すぎたのに、お店はおろか、トイレや椅子すらなく、あるのはただ近くを通る人間に吠え続ける警察署の犬のみ。
僕らは道の傍らの広いスペースにマットを広げて休む。
下山した後ですら人権がないとは…
定刻ちょい遅れでバスは来て、無事帰れましたとさ
大丈夫??