人が好きだという話

ネパールアンナプルナサーキット 標高5416mトロンパス アタック前日の二日間の嵐のおかげですっかり真っ白になった雪山で死にかけた時本当の自分の気持ちと向き合うことが出来た。

死の狭間に立った時、本当の自分に気づく。
命懸けの自転車トロンパス登頂物語
I could realize real mine when I likely to die.
The story to crimb Throng la pass with bicycle.#smaileciyrcle #annapurna #annapurnacircuit #throngla #thronglapass #ネパールラン https://t.co/HQ38Wf96hc

— こばたく@自転車放浪記in🇳🇵隔離 (@smaileciyrcle) 2020年3月27日

自分の内面を見せるのは本当に嫌だが、トロンパスでの経験で自分の芯に気づいたとき、吹っ切れたのでまとめることにした。  

もし興味がある方は、温かい目で読んでいただけると嬉しい。

地元で生活していた時までで人生終わりでよかったな

と思うことがよくある。

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この風刺画をご存知だろうか。無知な間は美しい世界が見えるが、本を読み知識をつけるほど世界が荒んで見えることを表した絵だ。

地元を飛び出して広い世界を見て少ないにしても昔よりは多くの知識を得た今の感情はこれに近いものがある。   地元で人生終わりでよかったと思う理由は限られた人間関係しかなくて、その関係を失う要因がそこまでないからだ。

生きて環境が変わったり、自分が子供だったり不甲斐なかったせいでなくなってしまった人間関係がいくつもある。

その後悔を今までひとつも忘れたことは無い

愚痴を聞くのはすきだ。信頼してくれてると思えるから。 でも僕は誰かに愚痴をあまり言わないと思う。言っても懺悔だけだと思う。

誰かが嫌だということがないし、嫌なことがあっても全て自分の至らない部分しか思いつかないからだ。

そもそも誰かに自分の負の部分を見せてその人まで嫌な思いをさせるなんて嫌だ。

でも普通の人は昔の人間関係が無くなったことを当たり前のように考えているし、大事だった人でも捨てるという決断ができている。 僕にはそれがどうしても出来ない。 ここまで考えて普通の人と決定的に違うことに気づいた

今まで出会った人の中で嫌いな人が一人もいない。

  誰かが嫌いだから、嫌いなところが見つかるから愚痴が話せるし、人間関係を容易に捨てられるんだと思う。たとえ嫌いなところがあっても、もっと魅力的なところが見つかるから、嫌いになんてなれない。

僕は今まで出会った全ての人達が大好きだ

昔の友達だって何年経ってもみんなそのままでいてほしいと強く思う。

時間がたち、場所は共有できなくてもまた会う時が来ればみんなで昔と同じように笑いあいたい。

だから自分の不甲斐なさで失くした関係は今でも全て後悔している。

自分が不甲斐なかったが故に傷つけたのに、依然友人としていてくれる人達を僕は一生かけて償って大切にしたいと思っている。

全員友達でいたいから、北海道の端っこだろうと、どんなに行くべきでない状態でも何度でもどこまでも会いに行くし、快く会ってくれる人達がいてくれる事にこの上ない喜びを感じる。

この前数年ぶりに地元の友達に会いに行ったら快く受け入れてくれたし、緊張していったのに気づいたらただ楽しさだけが残っていた。

特に笑って話してくれる瞬間がが本当に嬉しくて幸せだった   大学に行き勝手に世界に飛び出した僕を、地元で就職し、共に中学時代ゲームしてふざけあった友人達が今でも共に飯に行き、ゲームをして、何も変わらない笑顔で振舞ってくれる時間が僕には嬉しくて仕方ない。

  中三の英語のテストは万年33点

TOEICの最高点290点のバカが世界中を自転車で冒険しているのも人が大好きだからだ  

ついでに言うと、僕は阿部さんや小口さんのような冒険家になりたい訳では無い。

人が好きで、人と笑っていたいから旅をしている。

もし再び大好きな自転車旅をする機会があったとして、その旅の間に誰かを失うリスクが生まれたとしたら、僕は平気で旅を諦め、人を守る選択をとる

そんな人間だから、南極や月を旅したいと思ったことは未だない。

小口さんは自分を変えたくて旅をしたら笑顔が素晴らしいと気づいたけども、僕は人が好きで、笑顔が好きだから色んな人に会いたくて旅をした。根本が違う

…でも、もし火星人がいるのなら火星は冒険してみたいとは思うけどね笑

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出会った全ての人が隣で笑っていて欲しい。

  これが僕の夢だ。

人間関係を失ったのならば、他の新しい関係で保管していくのが普通の生き方なんだと思う。

でも僕は全ての人たちと笑っていたいし、大事にしたい。

新しい出会いも嬉しいけれど、存在した人間関係と、楽しかった思い出を捨てるのはその何倍も嫌だ。

全部守れるだけの人間にならないと、後悔がいくつも積み重なるだけだ。 自分が不甲斐なくて、嫌われて、笑わなくなる。そんな後悔もいくつもある。

だから自分を磨いて、勉強して、みんなが自分と一緒にいたいと思ってくれるだけの人間になる。

必ずなってやる。

人が本当にすき。

それだけじゃない。

動物がすき。自然がすき。知らない世界がすき。

だから自転車で世界中を冒険したい。

でもそれだけじゃない。

昔のブログでも話したが、イレギュラーな生き方をすることで今まで出会ったたくさんの人達が僕のことを見てくれるようになり、それがきっかけでまた出会えたら嬉しいと思っている。

NARUTOという漫画をご存知だろうか

嫌われ者のひとりぼっちの主人公ナルトが街の人達の気を引きたくて悪さをするところから物語が始まる。

恥ずかしい話だが、僕にとっての自転車旅はこれと同義だと思う。

それでも、遠くなった人達とまた出会って出会っていなかった間のお互いの経験をたくさん話して笑えたら嬉しいなと思っている

叶わなかったが、これは僕が夢ランで叶えたかったことの一つだ。

いつか必ず叶えたい。

もっと欲を言えば、一番大切な人と世界中旅したい。そうして、出会った全ての人を大切にして生きたい。

誰かを失う事がなによりも嫌な僕にとって、友達が先に死んでしまうなんて絶対に嫌だ。

でも人間は必ず死ぬ。

普通に生きていれば先に死んでしまうであろう両親でさえ、絶対に先に死んで欲しくない。 だから、これはめちゃめちゃ親不孝だと思うが親よりも先に死にたいと思っている。

人生は生きた時間では無いと思っている。

絶対に死ぬのだから、時間は長かれ少なかれ有限だ。その限られた時間の中で自分の夢をいかに叶え、やりたいことをいかに出来るかが全てだと思っている。

だから僕は23でもやりたいことは全て即行動し、明日死んでも後悔しない生き方をしたいし、そう生きてきたつもりだ。

驚くほど似合わないと思うが、生きることがそもそもめんどくさいと思っている。

生きてれば悩むし、苦労するし、失い、葛藤し、後悔する。

二度と後悔なんてしなくないし、努力するのは精神的にも肉体的にもめちゃくちゃ疲れる。その苦しさを繰り返すのなんてめんどくさいじゃないか。

それでも努力を一生重ねて生きているのは叶えたい夢があるからだ。

ただこれだけだ。

人間はなんのために生きるのか?と考えたことはありますか?

当時高校生だった僕には生きる理由はひとつもなく、生きる理由もないのに多くの命を喰らい生きながらえるのはその命にあまりに失礼だと思うし、それなら夢を持つ食べ物に困る人間のために自分は死ぬべきだと思っていたし、今でもそう思っている。

かと言って死ねる度胸もなかった当時の僕は、夢がないのなら夢を叶えたい誰かのために生きたいと思った。

だから海外援助を志して機械系に入ったという経緯もある。

でも今の僕には夢がある。

絶対に叶えたいと思っている。

僕の手が届く範囲の人達にはみんなずっと笑っていて欲しい。 一人も捨てたくないという感情が僕が子供じみている理由のひとつかもしれない。 それでもぼくはみんな大事にしたい。1人たりともどこかに行って欲しくない。

人が好きだから

みんながずっと笑っていてくれる人間になる

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KobaTaku
登山ちゃり旅スキー等アウトドアを生業とする社会人のふりした永遠の放浪者。人と自然と動物が好き。夢は奥さんと世界中を旅すること。 【自転車世界一周夢ラン】 19482km 2018.03.04-12/30