見返りのない努力

前回の投稿でありがたいことに多くの反響を頂いたのだが、その中に僕が病んでいる、ネガティブ、心配という意見がぼちぼちあったので今回は僕はいたって元気でポジティブだということを伝えたくてこの記事を書いた。

やつれている内容に見えたかもしれないが、僕にとってあれはいつも通りで、今はこの半年の中でも一番前を向いて自分を高めたいと思っている。思えている。

主にネパールで変わった大きな考え方三つが影響しているので書き記そうと思う。

SNSには共有しないので気になった人だけ読んでください

ネパールに行けて本当によかった


外出自粛期間中は表面的にはかなり波乱万丈だったが、内面的には自分でも及第点と言ってあげられるくらいの成果はあったと言える。具体的には英語や、夢の為の勉強、ブログやオンラインイベントである。多くは目に見えるだけの進捗を出すことが出来た


その根本にあったのはもちろん取り組むだけの意欲だ。

その意欲はずっと時間が出来たらやりたいと、胸の内に秘めていたものが多いが、あいにく僕は自分の精神状態をコントロールするだけで精一杯で、日常生活の中では自分をコントロールする手段を探しながら普通に生きるだけで精一杯の余裕が無い人間だった


それが、非日常(ネパール)での経験をかてに非日常(コロナ自粛生活)を迎えてようやく自分の精神状態をコントロールしてあげることが出来た。
それは自分が常に考えていた数多くの解決できない自分自身の悩み達の根源に気づけたことが最も大きい。


トロンパスで死にかけた時人が好きだと気づいたあの日だ。

こんなことは一度だけ前にもあった。

世界一周を決意した2017年の夏と同じ感情だった。

随分前置きが長くなってしまったが、ネパールに行ってよかったと断言出来る理由。言い換えると、ネパールで自分の意識の変化は大きくみっつあった

人が好きだと気づけた


一つは人が好きだと気づけたこと。他の人より強く、長く、そう思って生きてきたということ。
その行動によって叶えられる可能性があるゴールと、その行動をする理由である土大明確になっていないと、その意思は弱く、あっさり崩れてしまうものであると考えている。


ぼくは行動だけ先走っていた


自分は普通の人とは違う自分は化け物だ


自分の行動の土台はこれであると、何度もそう自分に言い聞かせて、なぜ他人は諦め、他人に諦めろと言われることに猪突猛進し続ける自分の根源をざっくりまとめて、自分自身の行動の理由を裏付けしようとしていた。


諦めを知らない故に、土台のない脆く儚い行動だけが先走っていた


その土台が、人が好きであることだと明確になった。

目指すゴールは限りある人たち全員と笑って生きること。ぶれない土台と目指すゴールが明確になって、何を言われても止まらない意志の強さと行動力をもつことができた。

現実と真っ向勝負すること

二つ目は現実を受けいれ、改善策を模索できるようになったこと


叶えたい夢がある人の多くは今の現実に満足しておらず、叶えたい理想があるから現状打破のためその夢を目指す。


でもそのような感情を抱く人の多くは理想に比べ現実があまりにかけ離れていることが多いと思う。

いくら努力しても叶わないことに心が折れそうになることもしばしばあるし、その辛さから逃げるために妄想に浸る。


僕もそうだった。

なぜ世界一周後、過去の自分が持っていたものすら何一つ守れないんだ。と、悔い、妄想に逃げ、現実逃避した。 


幸せな夢を見て、起きた瞬間現実に打ちのめされる。そうやって起きた時には泣いていた朝が一体何度あっただろう。
何度も何度も何度も苦しみを感じて逃げ続けて気づいたことは、逃げても現実は何一つ変わらないということだった。


アンナプルナから帰った僕は妄想に逃げることを辞めた。 

理想とかけはなれた現実と真っ向勝負するだけの覚悟が出来た。
これは僕的にかなり大きい。夢に追いつけない理由は全て今の僕が持っているのだから。夢を叶えたければ夢と現実の差を痛感するしかないんだ。


しかもそれは第一歩にすぎないそれから”その差”を埋めるべく、一段一段階段を昇っていくしかないんだ。


夢の実現に近道なんてどこにもないんだ

現実を直視する度に思ったこんなんじゃダメだ、こんな自分じゃダメだ。と、
理想とかけはなれた現実の自分に、不甲斐なさを痛感し、一段一段階段を上る自分を鼓舞した。

その結果

夢をかなえたい→今の自分はダメ今の自分はダメ→努力しなきゃ努力するとき苦しみが伴う→苦しめば夢がかなう
という、苦しみに喜びを感じる狂気の沙汰のような思考ループが出来上がった。

冠雪のアンナプルナを突破出来たのもこの思考回路による影響が大きい。
…夢を追いかけてるだけなのに、ますます普通の人間でなくなってしまったと我ながら思うが、何事にも挑戦しているようで僕はとても楽しいと感じる。(骨折すら楽しいと感じてしまったのは考えてみるとこの感情のせいだ)

僕の普通の人間の感覚からは逸脱した発言があったら大体この思考回路のせいなので、笑って僕が成長しようともがくさまを受け止めてくれたらうれしい。

見返りのない努力

最後に辛いし否定されるくらいなら諦めればいいじゃんと思う人も多いと思う。それは出来ないし、する気もないと声を大にして言いたい。


少しそれるが、僕の無数にある怪我のひとつを見てほしい。

中指と薬指の付け根に傷があるのがわかるだろうか。これは、小さすぎる自分を恨み、多くの家にあるであろう実家の柱に刻まれた自分の身長の成長の印を見て、伸びない自分の身長を恨み柱を殴りつけた結果出血し、残った傷だ


僕は痛いほど知っている


努力で叶わない夢がある


嫌という程努力したが、身長の神には見放されてしまった。どんなに叶えたい夢でも諦めざるを得なかった。

それに比べれば、努力すれば叶う可能性が極僅かでもあると言うのは、なんて幸せなことだろうと思う。

”辛いなら諦める”という選択は夢を叶える手段を多く持っている人間しか選べない。
中三のときから、僕は努力なしでは何も無い人間だと痛いほど知っている。 


無能に選べる選択肢なんてごくわずかしかないんだ。だからあたえられた選択肢は、全てしがみついて必死に登り続けなきゃ僕はこの世で生きるのは難しいんだ。


諦めたらそこで試合終了ですよ


この某バスケットボール漫画の超名言には続きがあると思っている。

それは
諦めたらそこで試合終了だけど諦めなくても勝てるとは限らない。

だと思う


諦めない人間だけが試合に勝つ”権利”を与えられるのだと思っているし、実際そうだと思う。


つまり、努力は多くの場合結果に現れないし、結局ほとんど努力には裏切られるということだ。


今まで僕の行動の根源には”努力すれば叶う”というのがあった。

死ぬ気で努力すれば、努力で叶うことならばいつか叶えることができると思っていた

だから努力を惜しまず、努力に縋って、諦めなければ叶うと思ってやってきた。


でも違う。

いくら努力しても現実は何も変わらなかった。

努力で叶うであろうことなのに、いくら努力してもかなわなかった。

そんな現実を見たくなくて現実逃避した。

理由は努力は叶わないという現実を受け入れたくなかったことも大きい。それに苦しんだ


ネパールで吹っ切れ、現実逃避をやめて、現実と真っ向勝負するようになって受け入れることが出来た。


多くの努力は叶わない。と。

それでいて、叶えたいのなら努力をするしかない。と。


これを受け入れられるようになってから僕は”見返りのない努力”を惜しまずできるようになった。

努力しながら、どうせまた叶わないんでしょ?と現実にほくそ笑んでるところも少しある。

でも、見返りがないからといって努力を惜しんでいる訳では無い。

理想に届かないから叶わないと表現した努力でも、叶えるために一歩一歩階段を上っている途中なだけだ。

だから見返りがなくても全力で。

100回に一回叶うのなら、その一回のために惜しみない努力を捧げ続ける 

何も無い人間でも夢を叶えたいと思ってしまったのだから

最後に

普通の人では届かないような高い理想を叶え、評価される人間には3種類いると思う

一つは初めからなんでも出来る天才型

二つ目に失敗の恐怖を知らず、何度でも壁にたちむかえる人間

三つ目は努力は裏切られるものだと知っている人間

だと思う。

  二つ目と三つ目は努力の積み重ねで高みにたどり着くいわば秀才型だ。


そして僕が高みにたどり着く方法は三つ目の型しかないと思っている。

天才じゃないし、努力を失敗するのは怖くてたまらないからだ。


初めの僕は何もない人間だった。自分は努力をしないとなにも出来ないと気づいた中学時代からの積み重ねで今の僕がいる。

何度積み重ねても僕は失敗が怖かった。

本気で、時間を費やした努力が裏切られた時悔しくて苦しくてたまらなかった。

けれど今やっと、努力は大抵叶わないものだと知った。

叶えたい夢の実現のための、アプローチ方法はたくさんあり、この自粛期間でその方法を学び、努力した。それでも結局叶えられる自分になれたとは到底思えない。

でも、それでいいと思えている。思えるようになった。

他人から見たら、僕の努力は一歩も進んでいないように見えると思うけど、僕自身はそう思っていない。

努力に見返りを求めていないから、何度でも努力できる。

たとえまた叶わなくても。

努力に見返りを求めていないから、自分に余裕がある。

こんなに努力したのになぜかなわないんだ、と苦しまなくなったから。

余裕があるから、今の自分の現実を冷静にとらえ、今自分がやるべきことのタスクフォーカスがうまくできるようになった。

成長を自分でも感じる。

だから、今の僕は、とっても元気だ。

全然、病んでなんかいない。

努力して、できないことができるようになるのは何度でも楽しいから。

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KobaTaku
登山ちゃり旅スキー等アウトドアを生業とする社会人のふりした永遠の放浪者。人と自然と動物が好き。夢は奥さんと世界中を旅すること。 【自転車世界一周夢ラン】 19482km 2018.03.04-12/30